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製造業のコンサルタントは○○○○○○○○を専門とする○○○○○○○○会社です。

小説「頑張れ二代目社長」COMPANY

新規事業への取り組み・経営判断のご参考に

 「あらすじ
 前社長の急逝を受けて中堅企業の社長を引き継いだ2代目社長と、その新社長を温かく応援する社員たち

社員の将来を真剣に考え、第3の新規事業を興して企業のレベルアップを目指す2代目社長。
心温まる人たちの行動や人間模様を、経営のセオリーを織り交ぜながら、物語風に描写してみました。

 登場する会社の概要
(すべてフィクションです)」・化粧用のガラス瓶や光学用特殊ガラスの
                 開発・製造会社
・創立50周年、年商50億円、従業員200

主な登場人物」(すべてフィクションです)
・ 和泉貫一郎社長
   (2代目、48歳、5年前に父の龍太郎から継承)
・ 塩谷専務 
  (64歳、事務部長、販売・経理・総務の総責任者)
・ 難波常務 
  (62歳、製造部長、開発を含む技術系の総責任者)
・ 谷中企画室長(40歳、頭の切れは抜群)
・ 製造四天王・・・小谷第1製造課長(58歳)、
 田口第2製造課長(48歳)、熊切総務課長(45歳)
 那須生産管理課長(38歳)
・ 大国開発課長 
   (33歳、エリート臭くない開発リーダー)
・ 槙開発部長(47歳、余り目立たない)
・ 香取営業部員
   (28歳、伊勢田製作所労働組合委員長)
・ 福与営業部長(45歳、気配りの人)

  本文 (ここから)  

 

第1話  社長室での会話

 「新聞には景気が回復してきたと書いてあるけど、実感がでませんなあ。」専務で事務部長の塩谷がぼやいた。
「いやあ、仕事も減っていないしシェアも拡大している、我々のような中堅どころのメーカーは堅実が第一、それを社長はしっかりと守られてきた。」製造部長で常務の難波がつぶやいた。
社長室に集まった3人は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。今にも泣き出しそうな雲が、重苦しい雰囲気をいっそう助長していた。
先代の社長で父でもある和泉龍太郎が急逝して5年、父の堅実経営を引き継いで長期の不景気を何とか乗り切った社長の和泉貫一郎は、そろそろ新しい打ち出しをしなければと考えていた。
話を出すタイミングとしては決していいとは思えない雰囲気ではあったが、貫一郎は訥々と話し出した。
「経理指標は大幅に改善され経営基盤も整ってきた、そろそろ借金をしてでも新しい分野への進出を決断する時期だと思いますが、塩谷さんどうでしょうかねえ。」和泉社長が塩谷専務にたずねた。
執務机と4人用の古びたソファーだけが置かれた社長室では世間話のような雰囲気の中で、会社の将来が語られていた。
「社長はこの5年間、本当によくやってこられました、さすがは龍さんの息子だと世間では評判も高い。伊勢田製作所は、先代の教えを守ってここまでやってきた。しかし・・・」塩谷は、黙って冷えてしまったコーヒーに手をやった。
 伊勢田製作所はガラス瓶の製造会社として、50年前に先代の和泉龍太郎が設立し、現在は光学用特殊ガラスも製造販売している中堅どこの、なんの変哲もない会社である。
親父の急逝のため息子が2代目社長を勤め、先代社長に仕えた2人の老臣がサポートするという、これまた何の変哲もない構成である。
「借金は大敵というのが先代の遺言みたいなものです。バブル時代のようなときならいざ知らず、消費が増えない時に借金を増やすということは自殺行為に近いでしょう。」大きいお兄ちゃんと慕ってきた貫一郎にとって、塩谷の言葉は絶対だった。
煙草を吸いたくてしょうがないといった顔をした難波が独り言のようにポツリと言った。「内部資金で賄いましょうよ、塩谷さん。」
「そんなお金がどこにあると言うのですか、私はこの40年間、明朗会計で鳴らせた塩谷ですよ。」
「まあまあ、塩谷さん、私があなたに貢ぎますから、社長に少しお金を使わせてあげましょうよ。」
「メーカーの金庫は現場にあるというのが先代からの教え、40余年の戦友難波さんがそうおっしゃるのなら、難波さんに騙されたつもりで、最後の青春を楽しみますかな。」塩谷と難波は顔を見合わせてにやりと笑った。
雲の切れ間から夕日が覗いていた。


第2話  難波常務が考え出した魔法の金庫とは


 先代からの慣わしで社長室のドアは開け放たれており、
社員なら誰でも何時でも入室が可能であった。創業当時の「みんなで考え、みんなで苦労し、みんなで仕上げる」という龍太郎独特の経営哲学を具現化した一つであった。
「失礼します。」企画部長で今年役員になりたての谷中は若干緊張気味の面持ちで、開放されている社長室のドアをノックしながら入室した。
いつものことだが、前置きもなく貫一郎はしゃべりだした。「谷中君、新規分野への参入のための資金を自社で調達しようと、難波さんが言ってくれたのはいいのだが、そんなマジックがあると思うかね。」
「うーん・・・。」谷中は返答に窮した。「出直してきます。」鳩が豆鉄砲とは、このようなことをいうのだろう。壁に架けられている先代の写真が「ちょっと」笑ったような、そんな雰囲気の光景だった。

 自分の席に戻った谷中は、窓の外を眺めながら考え続けた。事務所独特の喧騒が、谷中の目にはスローモーション映画のように映った。
そういえば・・・、10日ほど前に難波のおやじさんから、工場のコスト分析表を見せろと言われたことがあったなあ・・・。谷中は難波に提出した資料を食い入るように見た。
社長の一言で、資料の見方が変わったのだった。そこには、自分が作った資料とは思えないほど情報が詰まっていた。
 夕闇が社長室を包み、社長の机の周りだけがぼーっと明るく照らされていた。「社長、このデーターを見てください、製造コストの削減の手段はいろいろありますが、ここ3年間は経費の削減率が芳しくありません。難波さんはこの部分に注目されているのではないでしょうか。」
「しかし製造部門の経費だよ、接待費を使うわけでもないし、タクシーに乗るわけでもない。しかも経費に一番うるさいのが難波さんで、製造部門が無駄遣いをしてないことは私が一番良く知っているがねえ。」
「そうですね、先日お目玉を頂きました業界動向調査費用の方が、よほど無駄遣いだったかもしれませんね。企画部門の経費の使い方に対するお小言を頂戴する前に白状しておきます。」童顔の残った谷中は照れながら笑った。
「でも社長、製造の経費の費目とその金額をよく見てください。特に金額が大きいのは混練機(材料を混ぜる機械)の修繕費用や、電気炉で使う光熱費、特殊ガラス用の型の費用ですね。」
「生産に直結している、いわば変動費みたいなものじゃないのかね。」
「そうです、だから見落とされる確率が高いのですよ。これらの経費は逆の表現をすれば社内預金のようなものですよ。もちろん改善には、技術的な裏付けが必要ですが・・・。
難波さんはもちろん、塩谷さんも気が付かれているのではないでしょうか。」谷中は得意になって答えた。


3話  難波常務の爆弾宣言と課長たちの反応

 「熊切君、明日の朝、全員を集めてくれ。」
「なんかあったのですか、おやじさん(難波常務のこと)。」
「いいから、集めろ。」
「はい、はい、臨時ボーナスでも出るかも知れないといって、全員を集めますよ・・・。」ぶつぶつ言いながら、総務課長の熊切は課長連中に知らせて回った。
 翌朝、厚生設備とは名ばかりの小さな体育館に集められたメンバーは、意外な話を難波から聞かされていた。
「みなさんもご承知のとおり、伊勢田製作所は今年で創立50周年になります。ガラス瓶のメーカーとして先代社長が創業し、10年前からは現社長を中心として開発してきた光学用特殊ガラスの分野に参入し、売上の40%を占めるまでに成長してきました。
創業以来伊勢田製作所は、みんなで考え、みんなで汗を流して、みんなで仕上げる、ということをモットーに発展してきました。この精神で第3の事業を起こし、この会社をさらに拡大しようというのが貫一郎社長のお考えです。
ところが、新しい事業を起こすためには莫大なお金が必要です。借金も一つの選択肢ですが、一番いいのは自分のお金でやることです。」
予想どおり、全員が困惑した顔をしていた。難波の気持ちは、みんなで考えて欲しかった。
「そんな手品みたいなことが出来るのかと疑問の方も多いと思いますが、伊勢田製作所には大きな金庫がこの現場にあることに気が付きました。全てをしゃべらない方がいいでしょう、あとは所属課長から聞いてください。」難波の話は、あまりにも不可解で奇妙だった。
 少し遅れて事務所に戻った難波を、課長たちが取り囲んだ。
「おやじ・・・、課長から聞けと言われても、俺たち自身が何も聞いていませんよ。」年長の第1製造課長の小谷が口を尖らせて難波に噛み付いた。
「あわてるな、これから話す。ところで、ここは禁煙だったな。」難波は自慢のパイプを手の中で弄びながら答えた。
 「みんなも知っているとおり、この3年間売上が横這いになっている。業界がマイナス成長の中で、世間さまから見ると頑張っていると言えるかも知れないけれど、このままでは給料も上げられないし、新規採用もできない。
売上を伸ばすためには新しい事業が必要で、新しい事業を興すためには金が要る。」
話が終わるか終わらないうちに、若手の那須生産管理課長が真っ赤な顔で質問した。「いくら馬鹿な俺たちだって、それくらいは分かっていますよ。どんな方法で金を稼ぎ出すかが知りたいのです。」
「俺たちは、今まで、おやじの指示どおりにやってきました。今日の話しじゃ、裏切られたようなものです。」年長の小谷が4人を代表して、難波に噛み付いた。
難波の子分といってもいいほど難波を慕ってきた連中にとって、今日の難波の行動は腑に落ちないものだった。
それを無視して難波は悠然と那須に向かって言った。
「おまえの考えを言ってみろ。」
「おやじはアイディアなしで、全員を体育館に集めたのですか。」那須は暗闇に突き落とされたような気分だった。
「どうした、那須。」難波の低い声が、那須を現実に引き戻した。
「はい、えーっと、工場ができることは、材料を安く買うこと、工数を削減し歩留りを上げて・・・、でも・・・増産は売れなきゃしょうがないから・・・、うーん、かといって首を切る臨時社員もいなくなったし・・・。」
「経費だよ。」と難波。
「冗談じゃありません、経費削減なら事務部門や開発部門に言ってください。我々が無駄遣いをしてないことは、おやじさんが一番良く知っているじゃありませんか。」難波に噛み付いた田口第2製造課長に全員が加勢した。
「いいか、この3年間変わってないぞ、世の中デフレだ。経費が減らない方がおかしいと思わんかね、後はおまえ達で考えろ。」と難波常務は結んだ。
 朝から強烈なパンチを浴びた課長連中のすっきりしない一日が終わった。誰が呼んだわけでもなかったのだが、課長たちは、なんとなく会議室に集まった。
「お前らで勝手に考えろだって・・・、会社の中枢には考えがない。ああ、零細企業はしょうがねえなあ・・・・・・・・。」なんともいえない倦怠感が彼らを襲った。
課長連中の愚痴こぼしが出揃ったころ、「おい、もう6時を回ったぞ、一杯やろう。」と言って一升瓶をぶら下げた、難波でなく、専務の塩谷が会議室に現れた。 



 第4話  第3の事業って何だ?

 翌朝、おやじの先制パンチを浴びた課長たちは薄汚れた会議室に集まった。メンバーは、最年長で親分肌の小谷第1製造課長、小学校のとき社長の同窓生だったのが自慢の田口第2製造課長、若くて頭の切れる那須生産管理課長、それに熊切総務課長を入れた4人だった。
社内では彼らのことを製造四天王と呼んでおり、本人たちもその気になっているらしかった。
 四天王の気持ちを反映したのか、今日も小雨が降っていた。那須が小谷に質問した。「おやじさんは、第3の事業を興すと言っていたなあ。一体何をはじめる気だろう。小谷さんは知っているのでしょう。」
「知っている訳ないだろう、うちの開発部隊は隠密行動を旨としている。光学用の特殊ガラスは、お客様の新製品のスペックそのものだから、発注先のトップシークレットじゃないか。俺たちはそんな仕事を受けてやっているのだから、例え会社の中でも情報を漏らさないということを誇りにしているのじゃなかったのかい。」
「分かっていますよ、それでも知りたいですね。」那須は、少し不満そうな顔をして答えた。
第2製造課長の田口が口を開いた。「俺さあ、10日ほど前だったかなあ、大国と飲みにいったのよ。あのピントはずれのエリートとなんとなく気が合ってさ、それに鬼瓦みたいな顔がなんとなくかわいいからねえ。大国はジャブジャブの研究をやっていると言ってたよ。」
「ジャブジャブ? なんだいそりゃあ、何のヒントにもなりゃしないじゃないか。」あきれた小谷を無視して、田口は続けた。
「先週の話なんだが、親父の3回忌を俺の家でやったんだよ。そのとき、うちに来ていた弟の話しなんだけどさ、大国って有名らしいぜ。俺の弟はできがよくてな、かの有名な○○会社で研究室長をやっているんだ。そんな関係で、研究会とやらでときどき大国に会うらしいんだ。
弟の話じゃあ、大国を金(カネ)がふんだんに使えるところに移して研究だけやらせてやると、日本の化学技術が大きく進歩するとかって言ってやがったなあ。そうそう、こんなことも言ってたぜ、兄貴の貧乏会社に縛り付けておくなだってさ。」
「田口さんの話は弟さんの自慢なのか、それとも大国の才能が素晴らしいと言ってるのかわかりませんね。」熊切総務課長が茶化したが、動じることもなく田口は続けた。
「大国は入社したときから俺の舎弟なんだ、俺の会社に満足しているのだから、余計なお世話だって言ってやったのよ。しかし大国を見直したねえ。あいつが、日本の化学技術を動かす人物だって。俺の舎弟もたいしたもんだぜ。」
 世に中で認められるような力を持った男が社内にいることを、このとき初めて知った。その頃、大国が七転八倒の苦しみを味わっていることを、この4人は知る由もなかった。


 第5話  課長たちが考え出したアイディア  

 「ところでこの会議室、冷やしすぎじゃないですか・・・、もうすぐ10月ですよ、それに今日は雨だし、冷房なんかいらないですね。
そうか・・・おやじさんの言っている意味がわかってきましたよ。まだまだ経費は削減できるということですよ。」と那須が叫んだ。
「まだまだ節約のネタは残っているということか・・・。よし、話は早い方がいい、経費削減の話をしよう。」小谷の発言に田口が口をはさんだ。
「おやじは経費だといった。でもなあ、これまで経費削減・経費削減と何回やったかねえ。さらに経費を削減しろといってるのだから、何か新しい知恵がないと無理なんじゃねえか。」
「新しい削減方法ねえ・・・。那須君は、おやじの考えが見えてきたって、さっき言ったよなあ。さあ那須君の出番だ、アイディアを説明しろよ。」熊切が、困った顔をしている那須をせかした。
 小谷が独り言のようにしゃべりだした。「おやじは我々の給料を上げてやろうと言っている、そのためには業容の拡大、業容の拡大のために新規事業、新規事業のために金が要る、金を稼ぐために我々は冷房の効きすぎた会議室に集まった。うーん、なかなかのアイディアだ。」
「小谷さん、わけのわからんことを言わないで下さい。最近、だんだんおやじに似てきましたね。ところで那須君、はやくお前の考えを披露しろよ。」熊切が、ふたたび那須をせかせた。
「実は私もやりたくない案なのですが・・・、一つだけあります。それは・・・、みんなで納得してからじゃないと逆効果となってしまいますが・・・。」
「奥歯に物が挟まったような言い方は、俺たちの間じゃ禁物だぜ。」今度は田口が那須をせっついた。
「今までは、経費の管理は課ごとでやってきました。今回のポイントは、今まで気付かなかった削減案を見つけることができるかどうかが勝負の分かれ目です。このような場合、一番いいのは管理する人を代えることです。」
「じれってえなあ、だからどうするのよ。そうか、俺様が総務課長をやるのか、いいアイディアだなあ。」
おどけた田口の方をチラッと見て、那須は続けた。「経費は費目ごとに分かれています。例えば工具費といえば製造各課が別々に管理を行なっています。私の提案は費目ごとに担当課長を決めて、もう一度経費の使い方を見直してみようという単純な提案です。
しかしこのやり方は、課ごとで管理していた経費を費目ごとに担当課長を決めて工場全体で横断的に見直そうという案ですから、内政干渉だということで、いざこざが起こりかねませんよね。」
「うーん、各課の情報公開みたいなものだな。」と熊切。
「俺は了解だ、とにかくやってみよう。」難波家の大政と呼ばれている小谷の一声で簡単にやることが決まった。
「はい決まりましたね、それでは今夜は製造四天王経費削減プロジェクトがスタートすることを記念して、発足会ということにしましょう。不肖、万年幹事の熊切が、いつもの席を用意しておきます。」涼しいと感じていた会議室も、熱の入った議論で熱気がこもってきた。


第6話 酒盛り(製造四天王連絡会)   

 「那須、お前の考えはすごいぞ。」
「本当に信じていいのでしょうか、小谷さんのところの経費がどうのこうのと、私が文句をつけるのですよ。」
「いいってことよ、俺もお前のところの経費に文句をつけたかったんだよ。」
「熊切のところの経費も見てやろうじゃないか、必要もないのに可愛娘ちゃんを入れてさ、あれこそ無駄遣いの代表だぜ。」
「冗談じゃありませんよ小谷さん、塩谷さんに何度も何度もお願いして5年ぶりに、やっと入れてもらった新入社員ですよ。」
 「あらあら、可愛娘ちゃんがどうかされましたか? みなさん盛り上がっておいでのようで、何かいいことがありましたか。」女将が挨拶に現れた。
「女将の和服姿はいつ見てもいいなあ、今日はまた一段と風情があるよ。黒字に金のピンストライプ、規則正しく並ぶ小さなトンボねえ。ああ、おしゃれな着物だなあ。」田口はあわてて女将に愛想を振りまいた。
「あら、ありがとうございます。お口の悪い方は、黒字に黄色の縞模様、信号機みたいとおっしゃる方もいらっしゃいますが・・・。」
「この部屋はいいよなあ、誰にも聞かれる心配がないから。女将、これから我が社のトップシークレットの話し合いをするから席を外してくれ。」小谷が性急に言った。
「はいはい、わかりました。トップシークレットですね・・・。ところで、難波常務さんがお一人でおくつろぎですが、どうされますか。」
「おやじが・・・。」困ったような、うれしいような、複雑な気持ちの4人は顔を見合わせた。
 一瞬静寂が流れ、秋の虫の声がかすかに聞こえたような気もしたが、それも難波の足音でかき消された。
「おやじさん、人が悪いなあ。一緒に飲みたいのなら、そう言って下されば誘ったのに。」幹事役で総務課長の熊切が、代表して言い訳をした。
「その勢いじゃあ、いい考えがでてきたようだな。」
「おやじさんのおごりだと、さらに盛り上がりますよ。」
「塩谷さんの一升瓶に負けられんからなあ、今日は俺のおごりだ、さあ飲め飲め。」難波は上機嫌だった。
「ところで、おやじさんは、なんでそんなに開発に甘いのですか?」那須は、一度聞いてみたかった。
難波はビールを一気に飲み干し、さあ説明してやろうというように、ひざを両手でたたいた。


第7話  龍・貫親子の争い 
     
 那須の質問に答えて、難波は昔話をした。
先代(龍太郎)が元気だった10年程前、大手企業の開発課長を退職し、 伊勢田製作所に入社したばかりの現社長(貫一郎)は、当時は開発部長だったが、開発費の使い方で先代と激突したことがあった。
 あのときの龍さん(先代社長)、本気で怒ったねえ。
「息子だからといって、いい気になるな。俺が一代で築いた会社とはいえ、会社は従業員みんなのものだ、息子だからといって特別扱いはしない。」
貫一郎さん(現社長、当時は開発部長)も後に引かなかった。
「俺は会社の将来と従業員のことを考えて、このテーマを完成するんだ。いつまでたっても『瓶や』でいたくない!」・・・とね。
化粧用のガラス瓶一筋でやってきた先代にとっても、新しいことにチャレンジしなければ、伊勢田製作所の将来が開けないことは、痛いほど分かっていた。
でも、先代にとって『瓶や』は聞き捨てならなかった。龍さんにしてみれば、これまでの自分の人生そのものを否定されたように聞こえたんだろうねえ。
 この事件を契機に親子の間に溝ができてしまい、龍さんは本気で息子を外すことを考え出すようになってしまった。これは大変だ、ということで塩谷さんと俺は必死になって先代を説得したよ。難波は、ビールを一口飲んで、さらに話を続けた。
 その年は景気も悪く、利益を出せる状況にはなかった。さらに悪いことに、立ち上がったばかりの光学用特殊ガラスは、受注してから納品までの期間が長く、お金を回収するまでに時間がかかっていた。開発部隊は工程短縮のための技術開発を行っていた最中であり、そのときの開発責任者が貫一郎さん(2代目・現社長)だった。
製造工程が長いということに加えて、納品先の手形の支払期日が4ヶ月先だったため、会社は資金繰りにも困っていた。先代の龍太郎さんは、今まで苦労を共にしてきた従業員・その家族、さらには協力会社の従業員と家族までを養わなければならない大きな義務を背負っていた。
一方、貫一郎さんは、納品までの時間短縮を一刻も早く解決して新規事業を軌道にのせなければ、伊勢田製作所の将来はもちろん、自分の将来もないことが痛いほど分かっていた。
少しでもボーナスにまわしたい龍太郎社長と、次代のために開発投資に回したい貫一郎開発部長。どこにでもある話しといえばそれまでだし、立場が違うといえば、そのとおりだった。しかし、そのときの「龍」「貫」親子の意見対立は深刻だった。塩谷さんと俺は、心情的には龍さんの考えに近かったんだがなあ・・・。難波は煙草に火をつけ、大きく吸い込んだ。
 貫一郎さんが大会社の開発課長を退職して、伊勢田製作所の開発部長になって間もないときのことだが、やっとの思いで実験機を買うことができた。その装置が納入されたときは、俺たちの会社も実験機を買える身分になったんだと、開発部隊だけでなく会社全体で喜んだものだった。
ところが、置く場所がない。やっと見つけたところは物置で、電気の配線は自分たちの工夫でなんとかなったのだが、屋根を修理するだけの費用が捻出できなかった。これで、思いっきり開発ができると考えた開発メンバーは、計画的に実験ができないための焦りと不安で一杯だった。
しかし貫一郎さんは、実験だけが開発ではないことを、開発メンバー全員に徹底して教え込んだ。膨大なデーターの整理と、そのデーターから読み取れる微妙な変化。その微妙な変化をもとにした新しいアイディアの特許化。開発部隊が行わなければならない仕事を、貫一郎さんは陣頭に立って開発メンバーに体得させた。晴耕雨読とはこういうことかと納得すると同時に、2代目は龍太郎社長より大きな男に育つかもしれないと、俺も塩谷さんも感じたのよ。
心底、会社のことを考えることに差はないのだが、時代と共に、やり方は変えていかなければならない。塩谷さんも俺も、龍さんと一緒になって伊勢田製作所を立ち上げたときのことを思い出し、若いエネルギーが必要だと気がついたんだ。難波の話は以上のような内容だった。
「付け加えておくが、うちのような小さな会社は人材だけが財産だ。社長の息子であろうとなかろうと、この若者は器だと思ったら大事にしろ。お前たちも後輩を育てる年代になったのだから、肝に銘じておけ。」難波は課長たちに念を押した。

 
第8話  開発の進捗状況  
    

 開発部長の槙は社長室に入り、溜息混じりに貫一郎社長に話しかけた。「難波のおやじさんの爆弾宣言、絶妙ですねえ。」
「そうだよなあ、あのおやじさんにはかなわないよ、一言で従業員全員に夢と勇気を与えちゃった。世の中がいかに変わろうと、人を動かすのは心だということを見せ付けられたような気がするねえ。」
「社長、いよいよ第3の新規事業創出のために動き出さなきゃいけませんね。」
「おいおい、槙君、他人事みたいなことを言わないでくれよ。全ては開発の進捗次第だぞ、どこまで進んでいるのかね。」
「あと一歩のところまできました、社長。」
「そりゃよかった。難波さんの号令で開発のための資金捻出活動が、工場全体で始まった。もたもたしていると、集まった札束で難波さんにぶん殴られるぞ。」
取締役開発部長の槙は、開発状況の概要を説明した。「社長もご承知のとおり、わが社はガラスの表面処理技術を得意としてやってきました。今回は従来の技術領域の延長線上にあり、大国はじめ我が社の開発メンバーの得意分野でもあります。大国課長が複数の材料メーカーから表面処理材料を取り寄せ、比較検討を進めました結果、米国のベンチャー企業マリナーズ・コーポレーションのものが最も有力です。」
「槙君!、俺が開発部長だったことを忘れたのかね。前置きはいいから、実験結果を詳しく説明してくれないか。」槙は、いらいらしている貫一郎社長に、慌てて大国のレポートを差し出した。
 伊勢田製作所はガラス瓶の製造会社としてスタートし、化粧用のガラス瓶を得意としてきた。化粧用の瓶はデザイン的な要求が強く、ガラス自体の色はもちろんのこと、表面の印刷などに対しても厳しい要求があった。
そのような中で培われた表面処理技術をベースに、第2の事業である光学用特殊ガラスは開発された。この特殊ガラスは表面に真空装置を使って薄膜をつける方法で、世の中では一般的なやり方ではあったものの、特殊ガラスという性格上、製造プロセスにいろいろなノウハウがあって新規参入の少ない地味な分野であった。
 一方、今回チャレンジしている光触媒の領域は、話題性があり、応用分野が広く、技術的にも面白いため、誰もが飛びついて研究を行っている分野であった。いくら表面処理技術にすぐれている伊勢田製作所とはいえ、競争が激しいため、社長の貫一郎は一抹の不安を感じていた。
データーをじっくりと見終えた貫一郎は、槙に向かって激しい口調で言った。「十分に分かっているとは思うが、特別競争の激しい分野だ、どのようにして他社に差別化するかがポイントなんだ。その点を大国君たち開発メンバー全員に徹底して指導してくれているのかね。」
槙自身も指摘されたことに対して、当初から不安を感じていた。だが社長と同じ考えだとも言えず、かといって死に物狂いで頑張っている大国たちを悪く言うこともできず、黙って会釈をして社長室を出た。
 「大国だって、このテーマが簡単にはものにできないことを十分に承知した上で取り組んでいる。いや、分かりすぎるくらい分かっているから、異常なほど頑張っているのだ。」槙の声は、秋の虫の声に消されるような、いかにも心細い独り言だった。
大国を激励しなければと思った槙は、中庭を横切って実験室に向かった。そして実験室のドアに手をかけてはみたものの、槙にはノブが回せなかった。いつもと変わらず蛍光灯が輝き、大国の怒鳴り声がもれてきていた。
「おい、その液の針の動きはどうだ!」
ドア越しに聞こえてくる大国の声に圧倒された槙は、掴んだドアのノブから手を離し、そっと立ち去った。

 
第9話  実験室での大国開発課長      


 光触媒というテーマは、大国が率いるたった5人の開発部隊で、まともに応戦できる代物ではなかった。徹底して特徴あるテーマに絞り込み、他社に対して差別化を行わなければ、少人数の大国の部隊に勝ち目はなかった。取っ付きやすいテーマほど競争が激しく、彼等が取り組むテーマとしては適切ではなかったかも知れない。大国たちは既に一定の成果をだしているとはいえ、他社に比べて決定的な差別化だといえる性能を引出すまでには至っていなかった。
一方、大国たちの胸の内を知ってか知らずか、工場のメンバーは、難波の号令で全員が開発グループの応援団となって改革に取り組んでいた。早く何とかしなければと、大国は焦った。
実験室で、あいかわらず大国のがらがら声が響いていた。「手が動かなくなるまで試験管を振れ、目が見えなくなるまで顕微鏡を覗け、デジタル計測器はダメだ、針の微妙な動きを読み取れ。」
他社には真似できない性能を引出すための「鼻薬」は何がいいか、大国は寝ても覚めても考えつづけた。どんな微妙な変化でも見逃すまいと、試験管と試験データーとのにらめっこが半年にも及んでいた。
 今日も大国は、試験データ−をグラフにプロットしていた。繰り返しの単調な作業が続いていたせいか、入社したときのことが大国の頭の中をふうっと横切った。通っていた大学のゼミの教授と、ある些細なこととから口論となり、指導教官を罵倒してしまった。大国のほうが正しかったのだが、それを根に持った教授から就職の世話をしてもらえなくなり、新宿の飲み屋で荒れていたところを、今の社長に拾われたのだった。「なんとしても、貫一郎社長に恩返しをしなければ・・・。」とつぶやいたときだった。
「大国さん!この針の動きを見てください。ほら、見ててください、いいですか。何回やっても同じ動きをします。」針がすうーと右に動いたかと思うと、一旦はとまり、その後かすかに往復しながらゆっくりと左へ動いてとまった。
「繰り返し実験を何回やった。」大国が叫んだ。
「条件をかえて10回やりました。10回とも針の動きは同じです。」
「うーん。」大国の目は針の動きにくぎ付けになった。「何故だ、何故だ、何故なんだ・・・。」大国は何度も何度もつぶやいた。
4人の開発メンバー全員が大国を取り囲んだ、そして次の指示を待った。本当は5分位だったのかも知れない。しかし、開発メンバーにとっては長い時間に感じられた。
大国は仁王立ちになって、矢継ぎ早に指示をだした。
「この針の動きとガラスとの密着性の関係を調べろ。できるだけ多くの化粧水を集めてくるんだ。調べるのは、ガラスと塗料の密着力だ、わかってるな。」
一息ついた大国は、「あとは、理論的な根拠を見つけ出すことだけだなあ。」自分に言い聞かせるような独り言をつぶやいて、休憩用に置かれているソファーにどっかと座り込んだ。
暑くて暑くて喉がからからに渇いていた大国は、ネゲブ砂漠にあるレッド・キャニオンの急坂を下りていた。あそこまでたどり着けば・・・。谷底と思われる部分がキラキラと輝いていた。死海へ注ぐ真水が、あそこにはある。
大国は学生時代に放浪したイスラエル南部のネゲブ砂漠をさまよったときの夢をみていた。

 ーーーーーーーー 光触媒とは? ーーーーーーーー
 光触媒は二酸化チタンという半導体でできており、ガラスなどの表面に塗って光を当てると、油などの有機物といわれる物質を分解するため、表面の汚れを自然に落とすことができる優れものです。
そのため用途が広く、大学や研究機関だけでなく、何百社という企業が取り組んでいます。最近の研究では、大気浄化・脱臭・浄水・抗菌・防汚等々の効果が認められ、潔癖症のユーザーを当てこんだ、さまざまな製品が提案されています。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


第10話  答えは現場にあり 

 貫一郎(2代目社長)は、社長室のソファーに仰向けになって寝そべり、シミのついた天井を見ながら考え込んだ。期待通りの性能を引出すことができたと、槙(開発部長)の報告を受けてはいるものの、何故か気乗りしなかった。
「俺の目指している第3の事業が、これでいいのだろうか?俺は第3の事業で伊勢田製作所を変えたいのだ。製品ジャンルも、販売方法も、売上のボリュームも、全て変えたいのだ。」貫一郎は、じーっと考え込んだ。
「この会社を大きくしたい、強くしたい、社会から尊敬される会社にしたい、社員がもっともっと誇りを持てる会社にしたい。」「いや、いや、欲張りかなあ、俺は。」
「化粧品にとって匂いは大きなスペック(仕様)の一つだ。ビンの周りに垂れた液体が酸化して匂いが変わることは、いまでも問題になっている。しかし光触媒によって、その垂れた化粧液が分解され、瓶の蓋ををあけると常に新しい匂いだけが漂うということは、化粧品業界にとって画期的なスペックであることには違いない。」
「光触媒という新しい技術を化粧用の瓶に取り込むということが、化粧品業界のエポックになることは間違いないだろう。だが伊勢田製作所にとっては、既存事業の強化・リニューアルという意味にしかならないはずだ。会社の体質を変えることにはならないだろう。」
「新規事業への参入の仕方はいろいろあるが、従来製品の延長線上の分野に参入する場合はリスクが少ないから、化粧用の瓶に応用することがベストかもしれない。」「いやまてよ、それではシェアの拡大はできても、本来の目的である会社の体質を変えることはできない。」
 ソファーに寝そべったまま、貫一郎は何度も何度も自問自答した。ふと、壁にかけてある親父(先代龍太郎社長)の写真と目が合ってしまった。貫一郎が子供の頃は、一階が工場、二階が自宅だったから、親父と同じ屋根の下に住んでいたにわけだが、夕食を一緒にしたという思い出がほとんどなかった。三度のメシより現場が好きという表現がぴったりの親父だった。
「親父、どうすればいいかなあ。そういえば、親父は本当に現場が好きだったよねえ。迷ったら現場だ、答えは現場にあるぞと、いつもいっていた。目が合ってしまったからには、親父のいうことでも聞いてみるか。」
 貫一郎はソファーから起き上がり、大国たちのいる実験室へと向かった。「大国君、その後どうかね。」あの針の動きを発見して以来、大国は「何故・何故・何故」の連発の日々だった。
「社長、面白い特性を見つけたのですが、理論的な裏づけがまだです。何度やっても再現できますから、生産プロセスに組込むことは可能ですが、理論的な説明がつかず気持ちが悪いのですよ。」
「大国君らしいなあ、しかし再現できるのなら、いずれ理論的な解析もできるだろう。ところで、接着力が強いという液を塗っているところを見せてくれないかね。」
大国の指示で、昨年入社したばかりの新人が塗布を始めた。緊張はしてはいたが、一つひとつの作業を確実に進めた。
「簡単なプロセスだねえ、あとはオーブンに入れて乾燥だな。」と、貫一郎は簡易なプロセスに感心した。
「いえ常温放置、10分で固まります。」と新入社員が誇らしげに答えた。続けて大国が補足説明した。「先日、田口課長から、うちの会社は電気代がかかり過ぎるといわれていましたので、今回は室温で固まる省エネ・プロセスににチャレンジしました。」
「ほー、それは工場が喜ぶだろうなあ、熱エネルギーを使わない簡単なプロセスか、コストダウンにもつながり一石二鳥とは、このことだね。よかった、よかった、常温乾燥かあ・・・。」とつぶやきならが、貫一郎は実験室をでた。
 この加熱をしない「常温乾燥」というプロセスが、伊勢田製作所の方向を大きく変えることになろうとは、まだ、貫一郎でさえ気がついていなかった。


第11話  見送られた祝い金 
 

 街にはジングルベルの音楽が鳴り響き、年の瀬を肌で感じられる季節となっていた。朝から貫一郎社長・塩谷専務・難波常務の3人が社長室に集まっていた。今年は伊勢田製作所の50周年記念にあたる年で、年末に「50周年記念のお祝い金」を配って、従業員全員を驚かそうという段取りになっていた。
貫一郎社長は、この一ヶ月あまり考えてきたことを話し出した。「極秘裏に準備してきた祝い金の支給を、来年に延ばしたいと思います。私は、50周年を機会に伊勢田製作所を大きく変えたいと考えてきました。若干遅れ気味ですが、第3の新規事業の種となる新しい開発は、大国君たちの血の出るような努力が実り、実用化まであと一歩です。その開発結果を受けて、槙君(開発部長)と谷中君(企画室長)が新しいビジネスモデルを策定中です。」
塩谷と難波は、黙って貫一郎の話しを聞いていた。
「私は、伊勢田製作所を大きく変えたいのです。もっと強い、もっと大きな、そして社会から尊敬される、そんな会社に変身させたいのです。来年には間違いなく、新規事業が離陸するでしょう。その機会を、伊勢田製作所の新しい門出の証しとして従業員全員で祝いたいのです。」貫一郎は、これまで考えに考えてきた熱い思いを語った。
沈黙がつづいた・・・。
 塩谷と難波は、龍太郎(創業者)と一緒になって会社を立ち上げた頃を思い出していた。戦後の復興が進む中で、少しずつではあったが貧乏から開放され、女性が化粧を行うようになってきた。「これからは、この商売が伸びる。古今東西を問わず、美しくなりたいというのは女性の永遠の願い。化粧品業界で身を立てよう。」創業者の龍太郎と塩谷・難波の3人は、安い酒を飲みながらよく語り明かしたものだった。
塩谷は壁にかかってある先代社長の写真を見つめていた。
「俺は、2代目を大学に通わせることは時代の流れで仕方ないと考えたが、大会社に就職させることは反対だった。ところが貫一郎さんは、一流企業の研究所に入り、開発課長にまで昇進してしまった。正直、あの時はがっかりしたよ・・・、だれが伊勢田製作所を継ぐのかってね。
いつ気が変わったのか分からないが、龍さんは、貫一郎さんを伊勢田製作所に呼び戻すという。今度は貫一郎さんがかわいそうになってしまった。だってそうだろう、こんな会社で苦労しなくったって一流会社でのんびりと研究を続てりゃいいじゃないか。
しかしなあ、龍さん、よかったよ。あんたの息子は、第二の創業だと宣言してるよ、蛙の子は蛙だねえ、あんたはいい息子を持ったもんだ。」塩谷の目は潤んでいた。
一方、難波は落ち着かない様子で、いつものパイプをポケットから出したり入れたりしながら、塩谷と同じように、創業のころを思い出していた。「龍さんは頑固だったねえ、階段を一階上れば夕食が待っているのに、いつまでも現場にいた。俺と一緒になって、試作した瓶の形状が気に入らない、色をもうちょっとなんとか、表面のつやがいまひとつ足りない・・・。もうちょっと、もうちょっとといって続けているうちに午前様になることもしょっちゅうだった。
そういえば、親父と一緒に風呂にでも入りたかったのかねえ、貫一郎さんは、よく工場を覗きにきてたなあ。親父の背中を見て子は育つというけど本当だった。龍さん、今日の貫一郎さんの姿を見て欲しかったなあ。」
塩谷が沈黙を破った。「社長のおっしゃるとおりに致しましょう。」難波も同意した。塩谷は貫一郎に念を押した。「今年は世間並みのボーナスが出せるし、その準備もできています。しかし、会社創立50周年となると期待をしている社員もいるでしょう。金額の多寡でなく、突然の金一封は士気があがるものです。」
難波も付け加えた。「現場では、経費削減大作戦が展開中です。頑張りに頑張っている社員たちの活力が萎えないよう、心配りをお願いします。」
水面下で期待している人たちの配慮を怠りなくという2人の指摘を、貫一郎は深く受け止めた。


第12話  製品化への序奏  

 社長室に槙開発部長と谷中企画室長が呼ばれ、今までの検討結果を谷中が報告していた。「槙さんのところで開発した光触媒というシーズ(種)を使ってどのようなビジネスに仕上げるかという、第一次の検討結果をご報告します。」
「今日は、順序だてて話を聞きたいね。」結論から先にいってくれという、いつもの社長とはチョット違っていた。
「分かりました、セオリーに則ってご説明します。」谷中は、持参したプレゼンテーション資料に沿って話し始めた。「まずは市場分析という観点からですが、この図をご覧下さい。このように、男性でも化粧品を使う人が増えてきました。特に年配の男性向けの化粧品は、清涼感あふれるとか、清潔感のある香りというように、香りに重点が移ってきたようです。女性を対象とした化粧品市場の伸びは足踏み状態にありますが、男性向けの化粧品市場は年率100%以上の伸びを示しています。」
「毎年2倍以上の伸びで、大いにビジネスチャンスありということだね。」と貫一郎が答えた。
 谷中は続けた。「うちの女房もそうなんですが、使い始めの化粧用の瓶は綺麗なのですが、使っていくうちに瓶に垂れた化粧液にゴミがくっついて汚くなるだけでなく、匂いも変わってくるのですよね。匂いは化粧品の大きなファクターですから、当然ですが女性用の化粧瓶にも適用できます。」
槙がバトンタッチした。「社長は既にお気付きかも知れませんが・・・、ほとんどの場合、化粧液には油の成分が含まれています。瓶の周りに化粧液が垂れると、この油成分が変質して異臭を放ちます。光触媒は、この異臭を見事に退治してくれます。今回、光触媒というものに付き合ってみて、応用範囲の広さに驚きました。」
「技術的な裏づけもできたということだね。ところで、競合関係はどうなっているかね。」
社長の質問に、槙が答えた。「ご承知のとおり、光触媒の密着力を上げるために一般的には加熱しなければなりません。ところが、大国たちが開発した光触媒の塗布プロセスは熱を必要としません。光熱費の占める割合が高いプロセスの中で、我々は大きな競争力を所有することになりました。」
次に谷中が、新規事業開始にあたって必要な投資について説明をした。「混練機(混ぜ合わせる機械)と塗布機(液体を瓶に塗りつける機械)の購入が主なものですが、初年度の売上を10億円と仮定して見積もりますと、新規に購入しなければならない主要装置が各2台、合計4台必要となります。その他少額の設備を含め、合計で1億2千万円ほど必要となります。
問題は、4台の装置を設置するスペースを確保できないため、現実的な案として、工場の西側にスペースを確保するという想定をしました。増築のための見積もりを2社から取り寄せましたところ、両社の見積もり金額はほぼ同じで、建屋の増築・配電工事等合わせて約1億円というところです。投資金額を2億2千万円として採算計算してみましたところ、初年度は3千万円の赤字ですが、次年度は2千万円の黒字となります。」
 谷中の説明が終わり、貫一郎が感想を述べた。「成長性の高い新規の市場があって、ビジネスチャンスとして絶好の機会、技術的にも他社に優れていてコスト競争力がある。初期投資のために初年度は赤字になるが、次年度から黒字、しかも土地勘のある化粧品業界の新規分野に参入する、こんな気楽な新規事業はないですよ。これ以上なにをお望みですかといいたいようだね。槙君、谷中君。」
一呼吸おいて、和泉貫一郎は結論をだした。「ダメだ、まだ甘い、もう一度考え直してくれ。場所の件は難波さんに話して、増設しない手立てを考えてもらいなさい。それはともかくとして、いいかね、私は伊勢田製作所の風土そのものを変えたいのだということを忘れないでくれ。」
2代目社長和泉貫一郎は、だんだん経営者らしくなってきた。


第13話  労働組合との話し合い 

 会議室の片側の机の中央には和泉貫一郎社長、
その右側に塩谷専務、左側に難波常務の3人が、一方、反対側の机には香取伊勢田製作所労働組合委員長、その左右には労組の副委員長と事務局長が座っていた。
恒例の「労使協働委員会」であった。
伊勢田製作所労働組合は30年近い歴史があり、「労働者が不当な不利益をこうむることには徹底抗戦するが、資本主義経済の中においての企業内組合として企業と共に繁栄すべきである」という理念のものとに活動がなされていた。
 香取労組委員長が口火を切った。「本日は、3ヶ月に一度の定例の労使協働委員会ですから、いつもどおり、会社側の近況からお聞かせいただきたいと思います。なお労組側からは、来春の賃金交渉の基本姿勢について、労組としての考え方をお話しさせていただきます。」
和泉社長が答えた。「今年もあと数日で終わります。依然として個人消費が伸びない一年ではありましたが、景気全般としては回復基調でした。このような経済情勢を受けて、伊勢田製作所のメイン事業であります化粧用瓶の売上げは横ばいでしたが、光学用特殊硝子は前年比8%の伸びで好調でした。しかし、販売価格の低下もあり売上げ自体は横ばいでした。秋になってからスタートした工場の経費削減活動によって、製造原価の低減が順調に進み、利益が改善されています。まだ数値を発表する段階ではありませんが、増益になることは間違いないでしょう。」
 和泉社長の説明を受けて、香取委員長が感想を述べた。「同業者が売上げを減らしているような厳しい経済情勢の中で、売上げが横ばいではあるものの、利益が向上するという社長のご説明を聞かせていただき、労組としても嬉しく思います。このことは、経営の舵取りの確かさは言うまでもありませんが、我々組合員全員の努力の結果でもあると確信しております。」
香取は続けた。
 「最近、開発メンバーの超過勤務が目に余ります。激烈なる技術開発競争に勝ち抜かなければ、企業の存続がないことは十分に承知しておりますが、健康を害しては元も子もありません。開発競争の手を緩めろというようなことは決して申しませんが、開発メンバーの補強を含め、改善をお願いします。」
和泉社長が答えた。
「開発の進め方まで心配していただき恐縮する。委員長も指摘のとおり、他社と激烈な競争をしているのだから、ついつい時間が延長することもあるでしょう。また、開発者魂とでもいいましょうか、他社には負けたくないものです。ここで重要なことは、開発に携わっている人自身がどう感じているかです。労組からも直接ヒアリングをしていただき、事実を聞かせて頂きたい。やっている人が精一杯頑張れるような環境にするため、会社としてやれることは即座に実行することを約束する。」
和泉社長は続けた。「伊勢田製作所は、今年で創立50周年となります。半世紀もの長い間、よく頑張ってきたと思いますが、今後も永遠に繁栄させなければなりません。委員長ご指摘の開発部隊は、伊勢田製作所の次の50年の基礎を作るべく日夜奮闘しているのです。また生産現場は、新しい事業資金を社内で捻出すべく血のにじむような努力を続けています。従業員全員の協力と努力によって、新しい伊勢田製作所が生れようとしているのです。
私は、我々の会社を、より強く、より大きく、そして社会から尊敬される、そんな会社に変身させたいと考えてきました。製造現場も、開発部隊も、事務部門も、一丸となって次の時代に向けて改革に取組んでいます。この全社員の努力の結晶でもって、次の50年の扉を開きたいのです。来年こそ、この大きな扉を開こうではありませんかそして、全社員で次の50年に向けての祈念の祝賀会をやろうではありませんか。」
 和泉社長の話をうけて、香取委員長が答えた。
「和泉社長の将来に向けてのただならぬ決意をお聞きし、感激すると同時に、我々自身も身の引き締まる思いです。伊勢田製作所の飛躍は労組にとっても望むところです。来年早々にも、具体的なお話しをお聞かせいただきたいと思います。」
感激した香取は、いい雰囲気を来年に持ち越し、年初に長期ビジョンを話し合おうと、残りの議題を中断し会議を終わらせた。


第14話  元旦  

 新しい年が始まった。
まだ真っ暗だったが貫一郎は目を覚ましていた。夜明け前に近所の氏神さまに参詣し、初日の出を拝むことがいつしか貫一郎の年中行事となっていた。鳥居をくぐり一気に階段を駆け上り、社の前で大きな拍手を打った。そして「第2の創業のいいスタートが切れますように」と祈願した。冷気にも助けられ、気力が充満し、貫一郎は高揚していた。
社の裏手に周り、立ち入り禁止の立て札をまたぎ、薄明かりを頼りに小道を下りた。子供の頃、なんど上ったり下りたりしたことだろう、貫一郎にとっては目を閉じてでも歩ける小道だった。波しぶきのかかる大きな岩の上に立ったとき、水平線のかなたに一筋の光がかすかに見えてきた。その一筋の光は、瞬く間に大きな赤い塊となって仁王立ちになっている貫一郎を照らした。
貫一郎は童心にかえり、「おやじ!、見ていろ、今年こそ親父を超えて見せるからなあ。」風と波の音に負けない大声で叫んだ。母なる大地を育んできた太陽のエネルギーを、全身で受けた貫一郎の頭はフル回転を始めた。「さあ、忙しくなるぞ。」とつぶやき、もと来た道を引返した。
「おめでとう、起きていたかね、大国君。」「社長ですか、明けましておめでとうございます。」「朝早くからすまんなあ、正月だというのに。 どうしても君に聴きたいことがあって電話をしたんだ。例の光触媒だが、常温乾燥(加熱しないで乾燥できる)だったよね。」「はい、そのとおりですが、それが何か?」
「紫外線に対してはどうかね。」貫一郎の唐突な質問に、大国は戸惑っていた。「光触媒自体は紫外線に対してまったく問題はありませんが、接着力を増すために入れてあるバインダー(結合剤)を工夫する必要があります。」「紫外線吸収剤が必要だな、大国君。」「社長は今回開発中の光触媒が、直射日光に曝される応用をお考えですね。会社が始まったらすぐにでも実験してみます。」やっと大国は社長の意図を理解した。
 「明けましておめでとうございます。」元旦の午後、役員全員が社長宅に集まり年賀を祝うことが、龍太郎時代からの慣わしだった。一通りの挨拶を終えた貫一郎は、初日の出を眺めてお祈りをしたときのことを話した。「私は今回の新規事業を、伊勢田製作所の体制・体質を大きくかえるためのものにしたいと思ってきました。槙部長のところで開発中の光触媒を化粧用の瓶に応用することは、決して悪い選択だとは思いませんが、物足りなさを感じていました。
今朝、初日の出を眺めていて、太陽電池の表面に塗布してはどうかということを思いつきました。対象とする市場が化粧業界とまったく異なりますので、これから開発すべき新製品はもちろんですが、製造方法も販売方法も全てが今までとは異なります。正月早々から申し訳ありませんが、至急関係者を集めて検討してくれませんか。」「太陽電池とは、面白いものに気が付かれましたなあ。」塩谷専務が答えた。


第15話  太陽光発電ビジネス−1 
 
 若手3人の取締役である、槙開発部長、福与営業部長、谷中企画室長が
会議室の真ん中に集まって話し合っていた。「槙さん、福与さん、この市場成長率を見てください。この低成長の時代に、過去5年間の平均で年率約40%の成長です。信じられますか? 社長の勘は大当たりだと思いますよ。」谷中が調査結果を披露した。それを受けて福与が答えた。「谷中君は千載一遇のチャンスといいたいのだろうが、うちが進出して勝ち目があるかどうかが最大のポイントだよ。市場が伸びていることは重要だけど、おいしい市場は競争も激しいぞ。」「開発メンバーだって、多くはないしなあ。」槙も福与に同調した。
「お二人ともどうされたのですか、新規事業に進出しようというのに、否定的じゃ話が進まないじゃないですか。」「お前は企画書が書ければいいかもしれんが、俺たちは売上・利益に責任を負っているからなあ。」と槙と福与が同時にしゃべった。谷中は少しばかり気色ばんで・・・。「私が一番若いといったって、同世代じゃありませんか、後ろ向きの話はやめましょう。まず重要なことは、トップすなわち、うちでいえば社長と塩谷さんと難波のおっさんですよ。この3人が新規事業に乗り出すといっているのですよ。トップの強いポリシー、これが最大の強みですよ。先輩に物申すようで申し訳ありませんが、我々3人が頑張らなくてどうするのですか。」
「おいおい、営業が暴走するのを、ロジックをもって諭すのが企画室長のミッションだろう。」と福与。「技術的な興味にのめりこんで、ビジネスを忘れた開発を経営的な視点から軌道に戻すのが企画室長の役目だろう。」と槙。「ああ、辛気臭い。」「お前は、辛気臭いしか言葉を知らないのか。」「それなら、爺臭い、婆臭い・・・。」「おい、婆臭いは、セクハラになりかねんぞ。」「セクハラ?」「この3人の誰が女だというのですか。」誰が何を言ってるのかわからなくなってきたが、やっと3人のエンジンがかかってきた。
 「まずはテーマの選定から入ろうじゃないか。」年長の槙開発部長が提案した。谷中が資料を見せながら話し始めた。「では、最初に年率40%成長の背景をお話しします。テレビでも報道されているので、ご覧になったかも知れませんが、南極大陸の棚氷の大崩落、南米の氷河の融解、また赤道付近の珊瑚礁の国では大潮のときに水没するというような現象が頻繁におきています。これは石油や石炭・天然ガスを大量に使用することによって、多くの炭酸ガスが放出され、その炭酸ガスによる温室効果で地球の気温が上昇しているからです。この100年間で日本の平均気温は1度も上昇しています。恐ろしいことに、東京では都会独特のヒートアイランド現象のために3度も上昇しています。このような温暖化の状態を放置しておくと、日本独特のおいしいお米は、北海道以北でなければ採れないというシミュレーションもあるそうです。」延々と谷中の説明が続いた。
「おいおい、40%アップの話はどこへいった。」と福与がちゃかした。谷中はにやりと笑って、続けた。「日本政府は炭酸ガスの排出量を6%削減すると、世界に公言しました。それを実現するためには、当然ですが政府は新しい法律を作って規制を設けたり、補助金をばら撒いてクリーンエネルギー導入の促進をしなければなりません。「おいおい今度は飛躍しすぎだな、どうして太陽電池だよ。」と槙。「炭酸ガスを出さない発電方式は原子力発電と新エネルギーと称する太陽光発電や風力発電です。原子力発電は炭酸ガスこそ出しませんが、放射能というとんでもないものを出す恐れがあります。結果として、新エネルギーに力を入れるしか手はなく、それが40%という結果になっているのでしょう。」
「谷中君、太陽電池をやるには大資本がいると聞いているぞ。」と福与。「はいそのとおりです。トップクラスの企業に伍していくためには毎年数十億円から数百億円の設備投資が必要です。」「どこの会社の話をしているのよ、あきれたやつだなあ。」と槙も福与も溜息をついた。谷中はわかりきった質問をしないで欲しいという顔をして続けた。「うちの会社の売上高を忘れたのかい、でしょう。いいですか、現在の太陽電池市場は5000億円の規模になっています。結果として、周辺分野もビジネスになる規模に成長してきたのです。」「周辺ビジネスだったら、伊勢田製作所でも参入できそうな新規分野があるということだね。」だんだんと、槙と福与も引きずり込まれはじめた。


第16話  太陽光発電ビジネス−2  

 太平洋に面した小規模な都市に位置している伊勢田製作所の近郊は、めったに雪が降ることのない場所ではあったが、今日は珍しくちらちらと小雪が舞っていた。会議室では、槙開発部長、福与営業部長、谷中室長の3人の会話が続いていた。「寒いなあ、少し暖房を強くするか。」といいながら、槙は空調のリモコンをいじった。「私は寒くないですよ、若いですから。」谷中が憎まれ口を利いた。「さっき、同世代だと言ったのは誰だったのかねえ。」福与が切り返した。
「冗談はさて置き、太陽光発電の周辺ビジネスの話しをしようじゃないか。」槙の言葉で、谷中が説明を再開した。「太陽光発電の周辺ビジネスといっても、いろいろあります。当たり前ですが、伊勢田製作所にとって勝ち目のあるビジネスでなければなりません。環境意識の高まりと各国政府の施策により、太陽光発電ビジネスが世界的に急拡大していることはご説明しました。このチャンスを生かさなければなりませんが、福与さんがおっしゃるように、おいしい市場は競争が激しいのが常です。
ご承知のとおり、太陽電池の表面には硝子が使われています。わが社のコアコンピタンスは硝子の表面処理技術です。しかも非常にタイミングのいいことに、新しい表面処理技術が開発されたところです。」「俺のところの、光触媒の塗布方法のことを言ってるのだな。」槙は満足そうにつぶやいた。谷中が続けた。「資金的には、難波のおやじさんの号令で始まった経費削減活動によって、若干の準備ができつつあります。また、今年から開始する仕掛り半減運動によって在庫が削減されますと、在庫品が現金に変わるわけですから、さらに資金は潤沢になるでしょう。」
思い出したように福与がしゃべった。「そうそう、仕掛り削減の話しは営業部隊も参加するんだよ。若いのから、サプライ・チェーン・マネージメントなる本を勧められ、いま勉強中なんだ。」「ほう、そのサプライ・・・なんとかというのは、仕掛が減るのかね。」槙が興味を示した。「もちろん仕掛りが減り、埋もれている資金を活用できるようになります。槙さん、サプライ・チェーン・マネジメントは開発も関係するようですよ。それはともかくとして、今は谷中君の話を聞きましょうよ。」福与が答えた。
「これからが、槙さんと福与さんにご相談したいことなのですが、先ほど槙さんがつぶやかれたとおり、光触媒と太陽電池用のガラスを結び付けようと考えています。相談しなければならないことは2つ、ひとつは、わが社で開発した光触媒をどのような製品に仕上げるのか、そして2つ目は、その製品をどのような方法で販売するかです。」「光触媒と硝子の関係を詳しく説明してくれよ。」という福与の質問に、谷中でなく槙が答えた。「谷中君は太陽電池のガラスの表面に、我々が開発した光触媒を塗ろうと考えているのだよ、そうだよな、谷中君。」
谷中が答えた。「槙さんのおっしゃるとおりです。ただ、私が悩んでいるのは、太陽電池に使うガラスの表面に、わが社が開発した光触媒を塗るだけでは、社長の言われている伊勢田製作所の体質転換にはつながらないと思うのです。しかも太陽電池用のガラスは、1メートル四方くらいの大きさで、化粧用の瓶には比べ物にならないほど大きくて、物流費がかさみます。ガラス瓶の場合は、原料のガラスの溶解(溶かす)から成型(化粧用瓶の形に作り上げる)までを社内で行いますので、大きな内部付加価値があります。一方、太陽電池用のガラスは市販の板ガラスですから、我々の出番はなくて、塗布だけが内部付加価値となります。」
「付加価値が少なすぎるということか・・・。」3人は考え込んでしまった。


第17話  光触媒の効果  


 大国がネゲブ砂漠の夢を見た実験室のソファーに、槙開発部長と大国開発課長が座って話し合っていた。(夢の話は第9話)「大国君、太陽電池と光触媒を結びつける最大の技術課題は何かね。」「元日、社長からお電話をいただいたことは槙さんにご報告しました。そのとき社長からご指摘を受けた、紫外線の1件だけです。」「そうか、技術課題が1つだけだというのなら、集中してやればいいから開発としてはやり易いね。今回のシナリオは、太陽電池の表面に光触媒を塗ることによって、汚れたガラスの表面が綺麗になるというストーリーだが、どれくらいの効果が期待できるのかね。」
槙の質問に大国は答えた。「当然、その件は調査してみました。太陽電池の業界では、表面の汚れによる光の損失を5%と見積もっているようです。この5%という数値は、太陽電池を長時間太陽に当てて性能評価を行う、曝露実験の結果によっても裏付けられている数値です。砂埃などの汚れは、雨によって洗い流されて綺麗になるようですが、油が含まれた汚れは、雨によって流されることがありませんので、何らかの対応が必要だということです。油系の汚れを取るのは光触媒の得意分野ですから、光触媒を太陽電池に応用するというのは理にかなっています。」
「ということは、光触媒を太陽電池の表面に塗ることによって、遮られる光の量が減る、言い換えると発電量が増える、すなわち太陽電池の性能が上がったのと同じだということだね。早速、谷中君に経済性の検討をやらせよう。」「槙さん、谷中さんが計算しなきゃならないほど複雑じゃありませんよ。概略ですが、汚れ全体の半分が光触媒によって改善されると想定すると、先ほど説明しました5%の半分、すなわち2.5%の性能向上と同等と想定できます。ざっと計算して、太陽電池1枚あたり800円以下で光触媒を塗ることができれば、経済効果が生まれてきます。」大国は計算過程を書いた紙を、槙に見せながら説明した。
「いや驚いたよ、君が経済性に気を配るなんて・・・。」「私だって、企業の開発者ですから、経済性を無視して開発を行うような愚は犯しません。」大国が答えた。気持が軽くなった槙は、ちょっとふざけて大国に命令した。「それでは、大国開発課長殿、原価300円でお願いします。」「はい承知しました、250円で製造いたしましょうかね。」大国もふざけて応じたものの、すぐ現実に戻って現在抱えている問題点を槙に報告した。「先ほど説明しましたように、一度の塗布で10年間同じ効果を発揮すると想定して計算しています。正月明け早々から実験しているのですが、耐久性の検討実験のため時間がかかります。」
「当然、加速試験をやっているのだろうな。開発時間短縮のためなら、少々の出費はなんとかするよ。」槙の大盤振る舞いに苦笑しながら、大国は答えた。「ありがとうございます。実験のサンプル数を増やすために、紫外線ランプを3個ほど注文してもいいですか。」「いいとも、いいとも。10個でも20個でもいいぞ。」と槙。「槙さん見てください、あのでっかいランプですから場所がありません。そのうえ、実験室にきている電気容量では、あと3個が限度です。」
「太陽の何倍もの紫外線を当てるのだから、ランプが大きいのも仕方ないか。」紫外線の照射実験をやっている現場をみた槙は、笑いながら納得した。「ところで、大国君、この光触媒を液体で売ることは可能かね。」槙の唐突な質問に、大国は戸惑いながら答えた。「売ることは可能ですし、スプレー方式にすれば素人でも簡単に塗ることができると思います。しかも、常温乾燥ですから、何もしないで待っていれば乾きます。」「それだよ、それそれ、それだ。」槙は実験室を飛び出し、福与と谷中のところへ直行した。
 「福与君、いいことを思いついた、すぐに相談に乗ってくれ。」「どうしたのですか、いつも冷静な槙さんが・・・。」福与は苦笑しながら席を立った。福与に声をかけた槙は、同じフロアの奥のほうに座っている谷中にも声をかけた。「谷中君、緊急課題発生だ、ちょっと来てくれないか。」「いやー、いいところにきてくれました。私も槙さんと福与さんに相談したいことがあります。」


第18話  社長方針の具体化
 
 
 槙開発部長、福与営業部長、谷中企画室長の3人が会議室に集まり、
槙が説明を始めた。「太陽電池の表面のガラスに光触媒を塗り、汚れを落とそうという社長のお考えに沿って検討を進めてきたが、コストも含めて技術的には何とかなりそうだ。最終的にはビジネスモデルをどう設定するかだが、その前に社長のお考えを整理してみようじゃないか。」
谷中が答えた。「社長のお考えは単純明快ですよ。伊勢田製作所という会社を、今まで以上に、より大きく、より強く、そして社会から尊敬される会社にしたい。言い換えれば会社の体制・体質を大きく変えたいということですよ。」
福与が付け加えた。「今までの開発・生産・販売体制に甘んじることなく、メーカーとしての守備範囲というかスパンを広げて、激変する社会情勢の中でも乗り切っていける、そんな粘り強い会社にしようということだと思うね。」
 いろいろな議論を重ねた結果、会社の体制・体質の変換という観点から、3人は開発・生産・販売各部門に対し、次のような目標を設定した。まず開発については、注文主から具体的なスペック(仕様)をもらって製品開発を行うのではなく、市場の動向を見ながら自分たちで目標値を決めて、それに向かって開発が進められるような、自主独立の開発体制を目指すこととした。
引き続き製造部門については、不特定多数の顧客を対象にするということは、注文書をもらってから作るのとは違って、売れると思われる予測をもとに、ものを作るわけだから、売れないとなると在庫品を捨てなければならない。このような捨てるリスクを最小限に押さえるために、財務的な観点だけでなく、市場に敏感に対応できるよう、途中仕掛りゼロを目指した「超特急製造工程」の構築を最大の課題とした。
最後に難問の販売部門の目標設定に移った。現在の主力製品である化粧用の瓶も、光学用特殊ガラスも、納入先である特定の大手メーカーの資材部門に納品しているため、営業部門の仕事は、マーケティングというような仕事ではなく、納入先の注文量と社内の製造部門との調整作業が主な仕事だった。現状の特定大手顧客への納入対応とは異なった、不特定多数の顧客を相手とする販売体制の構築が最優先課題だということは福与のみならず誰の目にも明らかだった。
 目指す方向が明確になってきたところで、槙が次の提案をした。「次は、我々が今まで取り組んでこなかった新しいビジネスモデルの具体化ということだが、あまりにも漠然としすぎているので、ビジネスモデル検討のための新製品を提案する。我々が開発してきた光触媒は、常温で乾燥しても密着度が非常に高い(剥がれにくい)、すなわち簡単プロセスが特徴だ。さらに簡易に誰でもが使えるようにとスプレー缶を想定した。ということで、スプレー缶に入った一般顧客向け光触媒というのはどうかね。」
谷中がすぐに反応した。「賛成ですね、それも具体的で議論しやすそうです。従来とまったく異なったビジネスモデルを構築することによって、伊勢田製作所がどんな会社に変身できるのか議論してみましょう。ところで、スプレー缶で販売となると、日曜大工の材料や工具を売っているお店に並べることになるのでしょうね。」
福与が意見を述べた。「個人向けじゃなくて業務用途が本命だよ。太陽電池の大半は屋根の上に乗っかっているのだから、素人に作業させるのは危険だよ。屋根から転げ落ちたから何とかしろといわれても困るぞ。そんなことより、売れるかどうか以前に問題があるような気がするなあ。もともと内部付加価値が少ないことを心配していたんじゃなかったかな。塗ることもやらないということは、内部付加価値は缶に詰めるだけということだから、メーカーとして成り立たないような気がするなあ。」福与が頭を傾げた。


第19話  経営幹部の心得     

 専務の塩谷が頭痛もちであることを、社内で知らないものはいなかった。長年の経験で、そろそろ頭痛が襲ってきたなと感じていた塩谷は、少し早めに退社した方がよさそうだと判断し、机の上を片付けていた。そんなこととは露知らず、営業部長の福与は塩谷の前に立った。「塩谷さん、相談があります。」
塩谷は老眼鏡を外しながら福与の顔を見上げた。「いったい何の相談かね。その顔じゃ、緊急事態発生ということでもなさそうだから、在庫削減の状況でも報告にきたのかね。まあ、突っ立てないで座れよ。」椅子を勧められたにもかかわらず、福与は座りづらかった。「ご存知だと思いますが、新規事業として世に出そうとしている製品は不特定多数の顧客に販売するという代物です。塩谷さんもご承知のとおり、我々がこれまでやってきた営業は特定のお客さん、それも製造部門の資材担当が相手で、メイン業務は納入量を調整することです。今回の計画を達成するためには、営業部隊の大幅強化が必要です。」
突っ立てる福与の申し出に、塩谷は答えた。「必要なら、そうすればいいじゃないか。そのための資金調達だろう、俺たちは貯金するために金を貯めているんじゃないんだ。今度の新しい事業を立ち上げるために必要な金を社内で調達しようとしているのではなかったのかい。伊勢田製作所を大きく変えようというのが社長のお考えだ。そして、君たち幹部はそれに答えるべく活動を開始した。いいことじゃないか、君は何を心配しているのかね。」
福与が答えた。「いえ・・・、心配はしていませんが、我々3人(槙開発部長、谷中室長と自分)で検討している内容のご報告をと思ってきました。」
「ばかやろう!」塩谷の爆弾が落ちた、久々だった。「改めて報告しなければならないような大会社に、いつからなったのかね。こんな小規模の会社で、個別の相談なんてやめろ。だいたいなあ、君たちが何を考え、どう行動しようとしているかくらい、聞かなくても想像がつくよ。俺や難波さんが黙っているときは、好きにやればいいんだ。正しいと思ってやっているのだろう、責任を持って進めろ。それが幹部というものだ。」いつにもなく塩谷は興奮して、しゃべり続けた。
 「何をやるにも金がいる。 在庫削減活動の進捗はどうなっているのかね。製品が倉庫に並んでいるということは、札束を並べているのと同じことだ。倉庫に並んでいる製品が全てお客様に納品され、お金を回収できるなら、伊勢田製作所には倉庫は不要で、金庫だけあればいいということになる。製造工程での仕掛かり削減は、難波さんがやってくれている。製品の仕掛り削減は営業グループの仕事だぞ。お客の注文にフレキシブルに対応できるように在庫が必要だと言いたいところだろうが、納入先も製造業だ。突然2倍も3倍も必要になったり、いらなくなったりするはずがない。さっき、現在の営業の仕事は納入量を調整するのが主業務といってたよな。その仕事を突き詰めれば、在庫の半減くらいは難なくやれるのではないか。もちろん、製品在庫削減のために改善して欲しい製造工程があれば、難波さんにお願いしよう。難波さんだって、そのつもりなんだから。
ちょっと、まてよ、これがいかんなあ。お前たちでやれと指示しておきながら、ついつい細かいことまで口を出してしまう。頭痛のせいだな、いかん、いかん、君には釈迦に説法だったな。」塩谷はこめかみを押さえながら、さらに続けた。「そうそう、これだけは言っておかないといかんなあ。いいか幹部というのは、将来に向けての計画を練ることと、目前の課題をスムーズに処理するということを、同時進行でやらなければならないということを肝に銘じておけよ。」「よく分かりました、肝に銘じます。」福与は塩谷に会釈をし、自分の席に戻った。
 「香取君!」(香取:伊勢田製作所の労働組合委員長で営業部の部員)福与は自分の前の席に座っている香取を呼んだ。「例のサプライ・チェーン・マネジメントの話しは進んでいるかね。」「はい、進んでいます。」香取のいつもの元気な返事が返ってきた。


第20話  サプライ・チェーン・マネジメント(SCM)   

 香取は、調査した「サプライ・チェーン・マネジメント」の資料を
福与の机の上に広げた。「これからはサプライ・チェーン・マネジメントのことを略してSCMと呼びますがよろしいでしょうか。それから、SCMの面白い導入例も見つけましたので合わせてご説明します。」「SCMだな。」福与は興味深そうに答えた。
香取は説明を始めた。「SCMというのはロジスティックのことだと、私は誤解していました。(注:ロジスティック=物流:原材料を確保するための調達物流や客に荷を渡すまでの販売物流がある)ところが、SCMはもっと広い領域で使われているようです。SCMという言葉は供給連鎖活動と翻訳されていまして、材料の調達段階から商品をお客様にお届けするまでの全ての工程を最も合理的に行うには、どのようにすればいいのかという概念のようです。材料の調達から始まり、物を作る生産工程を経て、お客様にお届けするまでの全ての工程を合理的に行うためには、製品の開発段階から工夫する必要があります。このことを理解しやすい例として、ベネトンの話しを見つけました。」
「ベネトンって、あのアパレルメーカーのベネトンかね。」福与の質問に、香取はうなずきながら説明を続けた。「アパレル業界は斬新なデザインの商品を次々と市場に投入しなければ、熾烈な競争を勝ち抜くことはできません。今年ヒットするセーターの色は何色か?誰かが予測しなければならないのですが、当たるも八卦あたらぬも八卦で、的中させるのは至難の業でした。いずれにしましても、誰かが予測した結果をもとに、流行しそうな色のセーターをたくさん製造しておき、そうでない色のセーターは少なめに作るというやり方をやってきました。当然、予測が外れることもありますから、そのときは大量の在庫を抱えるという結果となり、残り物は投売りという悪循環を繰り返していたそうです。
あるとき、ベネトンでSCMの研究していた技術者が提案したそうです。後で染めればいいじゃないか・・・と。染めるだけの工程を残したセーターを大量に在庫しておき、市場の反応を見ながら、お客様が欲しがる色のセーターをタイムリーに供給するという方法で、ベネトンは大勝利をしたそうです。ここで忘れてはならないのは、製造工程を逆にするためには、新しい技術開発が必要だったということです。
セーターになった完成品を染めるためには、糸を染めるのとは異なり、平らになった胸や背中の部分と、折り込まれている脇の部分を、同じ色に染めなければなりません。(染めムラのあるセーターは不良品となります)当然ですが、ベネトンは染めムラをおこさない染色工程を技術開発することによって、ビジネスを成功させたのです。」
福与が質問をした。「香取君が大いに勉強したことはわかったが、わが社ではどのように応用しようというのかね。」「そのとおりです、そこがポイントなんでしょうが・・・、いいアイディアがなくて・・・。やはり、開発の方にアイディアを出してもらう必要があります。そこで、大国さんに相談したいと思いますが、よろしいですか。」
「いいとも、いいとも。開発グループとも大いに意見交換・・・、待てよ!」突然、福与が立ち上がった。「香取君、すぐ会議室に移ろう。」「どうしたのですか?」いぶかる香取を引きずるようにして、福与は会議室に移った。
 福与は、槙開発部長、谷中企画室長の3人で話し合った、光触媒をスプレー缶に詰めて販売しようというあらましを、香取に説明した。「というわけで、社長の言われている体質転換のためにはピッタリの商品が見つかったものの、内部付加価値が少なすぎるというのが問題だった。しかし、君が説明してくれたSCMのコンセプトをヒントに、社内で缶まで製造してはどうかと思いついたんだ。」
「福与さん、瓶やが缶やに変身ですか、面白い発想ですね。それも含めて、大国さんに説明してもいいですか。」「いや、俺が会議を招集するから、君はSCMの説明が出来るようにしておいてくれ。」


第21話  瓶やが缶やになれるのか?   

 いつもの3人(槙開発部長、福与営業部長、谷中企画室長)に大国開発課長と香取営業部員の2人を加えた5人で会議が始まった。会議を招集した福与が口火を切った。「我が社が開発した光触媒をスプレー缶に詰めて販売するという案件に関し、営業部で面白いアイディアがでましたので、みなさんからご意見をいただきたいと思い、お集まり願いました。」
「社内なんだから堅苦しい挨拶は抜きでいいよ、早くそのアイディアとやらを聞かせてくれよ。」槙が福与をせかした。「アイディアを話す前に、サプライ・チェーン・マネジメントなるものを香取からご説明させて頂きます。じゃ香取君、SCMの説明をたのむよ。」福与に命じられた香取は、簡単な資料を配りながら説明を始めた。
「サプライ・チェーン・マネジメント、SCMと略させて頂きます。このSCMは供給連鎖活動と翻訳されており、材料の調達段階から商品をお客様にお届けするまでの全ての工程を最も合理的に行うには、どのようにすればいいのかという概念です。すなわち、材料調達から生産工程を経て、商品をお客様にお届けするまでの全ての工程を合理的に組み立てることが重要です。分かりやすい例として、ベネトンのセーターの話しを資料に付けておきました。(注:ベネトンの話しは先週の第20話をご覧ください。)あとでお読みいただきたいのですが、SCMは技術開発が重要なキーを握っているということです。」
配布された資料のベネトンの話しを斜め読みした槙は、福与に話しかけた。「SCMの話しは以前から聞きたいと思っていたが、こういうことだったのか、よく分かった。しかし、セーターと光触媒の関係がよくわからないなあ。俺たちを緊急招集したくらいだから、かなり奇抜なアイディアだろうなあ、じらせないで早く聞かせてくれよ。」
福与が立ち上がって答えた。「瓶やが缶やになるのです。」
谷中が福与に質問をした。「すみません福与さん、社内付加価値を増やすために、容器である缶まで社内で製造しようということでしょうか?」
「そうだよ、そのとおりだ。」と福与が答えた。
谷中が続けた。「やっと理解できました、福与さん。光触媒の入れ物である缶を社内で作るということは、光触媒液自体を作ることに加えて、缶を製造するという付加価値を付け加えることができる。すなわち、我が社の内部付加価値が倍増する。一方、SCMのこころは仕掛金額をミニマムにするということでしょうから、完成した缶を仕掛りとして持つのではなく、材料の鉄板で用意しておき、注文を受けてから特急製造工程で容器を作る。高価な缶の完成品ではなく、缶の材料である安価な鉄板を仕掛りとして持っておく。結果として、工程途中で寝ている無駄な仕掛り金額を減らせる、というようなことでしょうか。」
大国が口をはさんだ。「光触媒の合成も短時間で可能ですから、光触媒も材料だけの在庫で大丈夫です。注文をもらってからブレンドしても十分間に合います。」香取は先輩たちのSCMについての理解の早さに驚くと同時に、セオリーに則った理想的なSCMの工程ができあがると確信した。当然のことながら、営業部が担当するであろう製品をお客様にお届けする工程を、しっかりと作り上げなければならないことも再認識し、身の引き締まる思いだった。
槙が呟いた。「瓶も缶も容器に変わりはないが・・・、工場はびっくり仰天するだろうなあ。さっそく難波さんに相談しなきゃならないねえ。」
大国が思い出したように言いだした。「入社して間もない頃だったような気がするのですが、スプレー缶に入った化粧品が世の中にでだした頃の話です。先代社長に声をかけられたとき、何故だか思い出せませんが、瓶が缶に置き換わるのじゃありませんかと言ってしまったのですよ。見る見るうちに先代社長の顔が赤くなり、馬鹿やろう!と怒鳴られたことがありましました。」
槙も思い出した。「あのときの犯人は大国だったのか、先代社長に突然呼び出され、缶の製造工程を調べさせられたことがあったぞ。そのときの記憶では、それほど難しい工程ではなかったように思った。いやはや、何が幸いするか分からんものだなあ。たしか、難波さんも覚えておられるはずだ。」
再び、谷中がしゃべった。「投資金額の見積りと採算計算は私がやります。開発は難波さんにご相談して、製造工程と新規に準備しなければならない装置をリストアップしてください。営業は販売シミュレーションを行って、月間販売量を提案してください。」会議は短時間で終わり、5人はそれぞれの職場に戻った。


第22話  社長方針演説

 今朝は、瓶と瓶が触れ合う瓶工場特有の喧騒がぴたりと止まり、伊勢田製作所の片隅にある小さな体育館に、全従業員200名が集合した。「社長の話なんて久しぶりだね、何の話だろう。」「来年度の昇給の話しかな、それにしてはちょっと早いかなあ。」「そんな話しなら、労組経由じゃなきゃおかしいよ。」「新年度の4月も近いから、きっと来年度の計画の話しだよ。」「いやあ、50周年記念で金一封がでるという話しだよ。」「おいおい、本当か?」「お前、誰に聞いたんだ。」
役員が入場を始め、ひそひそ話しも止まり静かになった。最後に入場した和泉貫一郎社長が、壇上に立ち挨拶をした。「みなさん、おはようございます。」「おはようございます。」全従業員が答え、いつもながらの和んだ空気が流れた。
貫一郎は全員を見渡しながら、ゆっくりと話し始めた。「本日が伊勢田製作所の歴史に残る記念すべき日になることを願って、お話しをしたいと思います。みなさんもご承知のとおり、伊勢田製作所は私の父が50年前に創業しました。若い人には想像ができないかもしれませんが、当時は食べるものにも困る状態で、日本中、みんな貧乏で、貧乏人は麦飯を食えと言って物議をかもした大蔵大臣もいたくらいです。
そのような時代に日本が豊かになることを信じて、父は化粧品業界で身を立てようと決心をし、この伊勢田製作所を創業したのでした。本当に長い道のりでした。文字通り雨の日もあれば風の日もある、苦しい会社運営でした。しかし、困難が立ちはだかるたびに、社長一人でなく、従業員全員が血のにじむような努力を重ねて危機を乗り切り、今日に至りました。命をかけて会社を守ってくれた先人達に報いるためにも、私は、伊勢田製作所を、もっと強い、もっと大きな、そして社会から尊敬される、そんな会社に変身させたいのです。
 昨年から、第3の新規事業を立ち上げるべく準備をしてきました。新規事業を行うには大きな資金が必要となります。その必要な資金は銀行から借りるのではなく、自分達で稼ぎ出すという具体的な行動の第1弾として、経費削減運動を展開してきました。さらに第2弾として、徹底した在庫削減を行いました。みなさんの努力のすばらしさは、結果が証明しています。伊勢田製作所は去年1年間で、なんと1億円の貯金が増えました。しかも、在庫削減を徹底したおかげで、工場の30%が空きスペースとなりました。
 これからやろうとしている第3の新規事業は、クリーンエネルギーの代表である太陽電池に係るものです。南極の氷や南米の氷河が溶け出している事実は、テレビや新聞でご覧になった方もあると思いますが、今のままでは地球の温暖化が急激に進み、海面が上昇して、南の珊瑚礁の国々は水没の危機にさえあるといわれています。1997年、世界の首脳が京都に集まって対策をたてました。世界各国で長い長い議論が行われ、やっと先々週、その対策が実施されることになりました。伊勢田製作所はこの機会を捕らえ、少しでも人類に貢献できる仕事に参画することにしました。
昨年のノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイさんが、先日行われた政府の京都議定書発効記念行事の招待客として来日されました。そのマータイさんはテレビの取材で、日本には、もったいない、というとてもいい言葉があると言われていました。今回実現できた1億円の削減効果は、みなさんの努力が第一であることは当然ですが、日本人特有のもったいない意識が根底にあったからこそ成しえたのかも知れません。」
 貫一郎は、コップに水を注ぎ一口飲んだ。「1億円の経費削減のお金は、これから取組もうとする新規事業のために使わせて頂くことはもちろんですが、みなさんの努力に報いるために、そして、伊勢田製作所創立50周年記念として、一部をみなさんと分かち合いたいと考えました。」
どよめきが起こった。「やっぱり、祝い金の話しだったのか・・・。」そのどよめきが収まるのを待って、貫一郎は話しを続けた。「お祝い金に関して、みなさんに了解して欲しいことが1つあります。伊勢田製作所が先人達の努力によってここまで到達できたということは既にお話ししました。伊勢田製作所に30年以上勤務されて、リタイアされた先輩が18人いらっしゃいます。その方々にもお祝い金をお配りしようと思っています。

さて、我々の新しいチャレンジは、今日から始まります。開発のやり方、製造の方法、販売の仕組み、どれをとっても、過去に経験のないことばかりです。みなさんの知恵と努力で生み出した、お金とスペースを使って、これまで経験をしたことのない仕事を立ち上げましょう。この新しい挑戦を成功させて、我々の会社を、より強く、より大きく、そして社会から尊敬される、そんな会社に変身させましょう。」
貫一郎の話しが終わり、伊勢田製作所が大きく羽ばたこうとしていることを実感した200人は、それぞれの想いを胸に体育館をでて職場に戻った。50年間続いている、いつもの喧騒が始まった。


第23話  最終章

 「お疲れさまでした、さあどうぞ。」梅の花をあしらった和服姿の女将が、塩谷と難波にビールを注いだ。そのビールを2人は黙って一口飲んだ。
「塩谷さん、何年になりましたかねえ。」難波の質問に、塩谷が答えた。「先代の龍太郎さんに誘われて、ちょっとしたお手伝いのつもりが、40年近くも伊勢田製作所にお世話になってしまいましたよ。長かったかと問われれば長かったような気もしまが、あっという間に40年が経ったような気もしますなあ。」
難波は庭のほうを見ながら、独り言のようにしゃべった。「私が高校生の頃だったと思うのですが、ケネディ大統領が月に人類を送るという演説をやったことがありました。今でも記憶に残っていますが、素晴らしかった。
1960年代に月へ行くという具体的なターゲット、人類発展のためという大きな使命、新しい合金を使い、時計より精密な技術を駆使するという具体的な技術課題、そして国民全てに参加を呼びかけるという、壮大で夢のある計画でした。
今朝の貫一郎社長の演説は、ケネディを彷彿とさせるものがありました。町工場から世界の大企業になるかもしれないという夢を全従業員に与えてくれたような気がします。」
塩谷も同じようにぼんやりと外を眺めながら話した。「暖かくなってきました、いよいよ春ですねえ・・・。ところで、落ち葉と枯れ葉が同じではないということをご存知ですか?秋になると広葉樹は紅葉し落ち葉となるのですが、それは新芽を出すための準備で、木は来年のために自分の体を震わせて、紅葉した葉っぱを落とすのだそうです。だからこそ、短時間で一斉に葉っぱを落とすことができるのだそうです。」
「もうすぐ、新芽の季節ということですなあ。」2人は引退の時期だと感じていた。「課題はいろいろありますが、あとは若い連中で何とかやれるでしょう。大きな路線は敷けたのですから、あとは目の前の問題を片付けるだけで、当分大丈夫でしょう。」2人は顔を見合わせて微笑んだ。
 貫一郎社長は社長室のソファーに座り込んで、親父の龍太郎に話しかけた。「親父、俺は大変なことを言い放ってしまったような気がする。いまさら親父にいっても仕方ないけど、これから大変なことがおきるような気がする。」
「おまえは、いつまでたっても変わらんなあ。しかしなあ、俺はおまえを信じているよ。おまえは小さい頃から自分で言ったことを放棄したことがない。それがおまえなんだから、何が起きようと、最後まで頑張ればいいんだ。ただ、伊勢田製作所はおまえだけのものじゃないということだけ忘れなきゃいいんだ。それからなあ、瓶やにこだわらなくてもいいぞ。」
「よし、始めるぞ!」武者震いをした貫一郎は、龍太郎に最敬礼をして部屋を出た。

   おわり